36TFS
1976年の春、確か横田基地に通い始めて2回目の時だったように記憶している。撮影場所であった横田ドライブインからコントロール・タワーの脇に駐機する戦闘機らしき機影を確認できた。この日は天気が悪く、その後飛来したVMFP-3"RF”のRF-4BがT/Gを繰り返して、目はそちらに奪われていた。暫くして、その迷彩を施したF-4Eはモゾモゾとタキシングを始めR/W18で何処かに飛び立っていった。考えてみれば私にとってこの日は、RF-4も含めF-4ファントムの活動しているお姿を始めて拝んだ記念すべき日であったのだ。どん曇の空模様の中離陸したF-4Eは、尾翼に”OS"と白くかかれており、後に36TFSの所属で韓国烏山基地に駐留している部隊である事を知った。その何日か後に再び横田を訪れた際、”OS”のファントム4機の離陸を目にする運も有り、その頃は「横田に来ればいつでもファントムが撮れる!」と言う大きな誤解をしていた。後に通えど通えど戦闘機は来ない・・・と言う挫折を味わうことになるのだが。 
36th TFSは、過去横田に駐留していたF-4C飛行隊の3羽烏”GG/GL/GR”の1つであった。F-105時代には初めてベトナム戦に投入された飛行隊として知られる。1971年、第5空軍の戦闘機部隊の再編成の際、横田基地のF-4C 3羽烏を束ねていた347th TFWが移動し,、韓国に当時新編された3rd TFWに傘下の部隊をすべて移管し、機材の1部は沖縄嘉手納基地の18th TFWに移管した。35/36/80の各TFSはそれ以降韓国に駐留し、日本本土にはF-4を含め戦闘機部隊が一切居なくなって、戦闘機類はクロスカントリー等で訪れるお零れしか撮影できなくなったわけだ。(2002/7/6 記) 
ここの2枚は嘉手納基地にランディングする36th TFSのF-4Eを撮影したものであるが、OS-294は写真を焼き込み過ぎて黒くなり見辛いし、OS-309は光線がTOPの状態で共にご紹介するには申し訳ない写真である。36th TFSはフィンチップを赤としていたが、後に51st CWに加わった497th TFSは青であった。
1980年代に入って 36th TFSのF-4Eが、何と機首に鮫口”Shark Mouth”を入れ始めた。E型にはベトナム戦当時 有名な388th TFWがシャークマウスを書き込んでいたが、このタイプのファントムにはよく似合う。こういう魅力的な機体が撮影できたら誰でも写真マニアの世界に引き込まれてしまうだろう。この頃軍用機の撮影に嵌り込んだマニアは多いはずだ。
F-4E/497TFS ( 67-0369)
F-4E/497TFS ( 68-0353 L & 68-0349 R )
渡辺 明さん撮影の36th TFSのF-4E、1970年代後半横田基地のOpenに滅多に顔を見せなかったこの飛行隊が、海兵隊岩国基地には毎年のように展示された。パッケイジ・ポッドには”PACAF"のインシグニアが書き込まれている。
第51混成航空団(51st CW)は、1974年の10月に韓国の烏山空軍基地で誕生している。当初は、その頃 極東(フィリピンを除く)でF-4Eを配備している唯一の航空団であった。 M-61A1 20mmバルカンを機種に装備して、従来より全長が1.5メートルほど長くなった分C/D型よりスマートに見え、私は好きだった。
在韓米軍は在日米軍と異なり、対ソ連.戦略の戦力と言うより韓国の防衛に主眼が置かれていた。51st CW/8th TFW共に主任務を北朝鮮の航空攻撃に対する防衛としているが8th TFWが対地攻撃に重きを置いていたのに比べ、51st CWは従来制空戦闘に力を入れていた。嘉手納基地へのF-15C/Dの配備に伴い韓半島の制空任務までカバーできるようになって、51CWも対地攻撃任務に比重をかけるようになり装備も強化されたと言う。
F-4E/36TFS ( 68-0453)
F-4E/497TFS ( 68-0339)
F-4E of 36TFS ( 68-0407)
上のF-4E/OS-453と違い所属が36th TFSから497th TFSに変わった同一の機体。シリアルの書き方も”68-0453”ではなく”80-0453”になっている。
F-4E of 497TFS ( 68-0453)
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Insignia of 36FS
1984年になるとオーバーラル・カモフラージュの他に”ヨーロピアン-1”と言う暗い迷の軍用機が増え始め、航空機マニアの気持ちも暗〜く(?)なった。しかもこの2機のF-4Eは、カメラを構えて目の前を転がることを期待して待っていた多数マニアたち(背景に写っている)の期待を裏切ってランウェイバックして 離陸していった。
クンサン空軍基地(Kunsan AB)に本拠地を持つ第8戦術戦闘航空団(8th TFW)にあってティグ基地に唯一配備されていた497th TFSはF-4Dを手放しF-4Eを受領した。1982年1月1日の事である。この日をもって497th TFSは51st CWの傘下に入り 51st CWはF-4E 2飛行隊を持つ航空団と戦力を倍増、名称も第51混成航空団(51st CW)から第51戦術戦闘航空団(51st TFW)と改称されたのである。左3枚の写真も497th TFSのF-4Eで尾翼のフィンチップは”ブルー”である。
F-4E/36TFS ( 68-0421)
& 497TFS